2009年 08月 31日
青春18きっぷの旅 in 京都 |
京都の中心街から離れた、桂川の西に面した場所に桂離宮はあります。
宮内庁が管理する、京都御所、京都大宮御所、仙洞御所、修学院離宮のなかでも、特に人気があります。
桂離宮の参観は宮内庁、事前申し込み制
昨年から、何度も申し込みやっと見学ができました。
真夏なので参観希望者も少なかったのでしょう。
一度に拝観できる人数に制限がある上に、意外にも人気があって、
予定の日時に拝観できるようするのは結構大変なのです。
アクセスはケチばば~の旅 青春18きっぷです。
夏休み最後の日のためか?さすが車中には子供の姿は見受けられませんでした。
同居人からは又行くの~ 白い目で見られ、こっそり早朝 家を出ました。
楽しかったことは、いうにおよばずです。
帰宅後ブログアップしたのですが、同居人から「ブログにしては長すぎる!」
ブ~
私は見学の記録としてブログに書いたのですが・・・・確かに長くなってしまいました。
感動をすべて書きたい。記録に残しておきたいと思ったのですが・・・
私なりの桂離宮の報告です。
桂離宮の入り口です。ひっそり目立たない場所にあります。
京都の中心街から離れた、桂川の西に面した桂離宮を訪れました。
総面積は、東京ドームのおよそ1.5倍の広さ
参観通用門を越えたら、待合室に入り証明書を見せて入園確認を行います。それからガイドの方が迎えに来るまで待合室でしばらく待機となります。
約22人の見学者 先頭にガイドの職員 最後尾には皇宮警察の人がつく。
待合室から出て、庭に向かって歩き出すと、通路の奥に背の低い松が植えられています。この松は「住吉の松」といって、外からやってきた訪問者から、庭の内部を隠す目隠しとして植えられたそうです。
ここで隠されることで、あとで見ることができる景色への期待が膨らみます。
御幸門(みゆきもん)です。
門は、かやぶきの屋根に、自然のままの皮つき丸太の柱で支えられています。
茶室を中心として、日本の伝統ある景色を楽しむ庭ですので、質素な造りの門です。。
厠が隣接した外腰掛です。
左側がトイレ
勿論今は使えませんよ。
外腰掛の休憩所の前には蘇鉄が植えられています。
当時としてはたいへんめずらしいし植物でした。
外腰前の燈籠と手水鉢です。
それぞれ、年月を感じさせますね。
外腰掛から、茶室の松琴亭までは桂離宮の全景を見ながら歩いていきます。
外腰掛を離れて、州浜あたりまで歩くとようやく桂離宮の全景が眼前に広がります。
澄み切った池に、緑が目に眩しいです。
ガイドの後ろを歩いて行きますが、足元が悪いので、写真など撮影していると注意を受けます。
ちょっと内緒で撮影。
全ての木々の手入れが行き届いていて、大変繊細な印象を受けました。
1本の切り石を渡ると、最初の茶室である松琴亭(しょうきんてい)が見えてきます。
すべての建物は上がることはできません。眺めるだけになるのが残念でした。
ふすまが全て開放され、茶室を覗くことができます。
にじり口のもある本格的な茶室です。
この松琴亭で最も驚かされるのが、この床の間と襖。
大胆な青と白の市松模様なのです。すごく斬新です。
右側の地袋はありふれた水墨調の襖絵です。
小高い岡の上に立っている峠茶屋風の建物が賞花亭(しょうかてい)です。
こちらの茶室もかやぶきの屋根になっています。さきほどの松琴亭と比べると、いくぶんか質素な造りになっています。
小高い岡の上に立っているので、ゆったりと桂離宮を見渡すことができる場所です。
壁に長年の風雪に耐えてきた証であるしみが出来ていました。
大変おちついた佇まいです。この中に入って実際に腰を下ろすことができ、
格子窓から外の緑深い景色を眺めることができます。
賞花亭の字は名のある方が書いたとの説明、。 でも忘れました。
一風変わった建物が園林堂(おんりんどう)です。
この建物は遺骨を納める所だったからです。今は収められているものはありません。
ここの他にも何ヶ所か橋があるけれど、そのひとつひとつが繊細なこと。。
ちなみにこのような飛び石で、庭園内の周遊路は構成されていて、相当な数が存在するとか・・・
橋を渡り、園内をさらに進んでいくと、3番目の茶室に到着します。
丸い窓が特徴のある笑意軒に到着です。茶色の土壁が目に優しく、
この丸い窓は、全てわざと違う大きさで作られていて、格子に使われている枝も違った組み合わせで演出されています。
という係りの方の説明ですが、私には同じようにしか見えません。
月波桜からみた、湖越しの松琴亭です。風情のある佇まいがよりいっそう引き立っていますね。
これぞ日本美と係りの方の説明。
内部の天井の様子で、船底のような形をしています。天井なのに船の底だなんて、見上げていて?? そうかな~~。
月波桜でもお茶を楽しんでいたようです。、ここでも縁側での茶席が設けられていいます。
書院の脇の池の畔に建つ月波楼です。
いよいよ書院へと進んでいく。
桂離宮の母屋に当たり、最も大きな建物がこの書院。これまでの建物が庭園の中の茶屋だったのに対して、こちらは住居だから大きいのも当然。
上の写真が庭園に向かって最も突き出した古書院だが、その正面には竹で編まれた「月見台」がある
この「月見台」はその名の通り、夏の夜に月を眺めながら過ごす為にある、何とも風流な設えなのです。
桂離宮は「月の桂」と称される。それはこの月を見るための仕掛けと、庭園を背景に昇る月を眺めた時の素晴らしい風情に由来していると係りの方の説明。
中秋のときにこの庭で月をめでたいものです。
月見台から眺めた池は・・・・
この桂離宮、造営は江戸時代初期、後陽成天皇の弟、八条宮智仁親王が別荘として造営を始め、ほぼ今の離宮の状態になったと言われ、完成まで約40〜50年ほどかかっている。
以後、宮家の別荘となっていたが、明治時代に宮家が絶えた後は宮内庁の管轄となり、桂離宮と称された。
一度も火災にあったことがなく、ほぼ創建時のすがたを維持している。
一皇族の住まいに過ぎなかった桂離宮。その建築的な価値が決定的に知れ渡ったきっかけが、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが、「涙が自ずから眼に溢れるほど美しい」と評価したのが国内外に知れわたった。
庭園の木々や石の数々全てに至るまで、しっかりと手を入れることによる徹底した美しさは素晴らしい。
御輿寄を通って、園内の見学は終了しました。
見学時間は予定通り1時間。
純粋な日本を感じさせる落ち着いた佇まい
感嘆のため息がでてしまうくらい、すばらしい回遊式の庭園。
真夏の離宮の訪問は、暑さを忘れさせる18きっぷの旅でした。
宮内庁が管理する、京都御所、京都大宮御所、仙洞御所、修学院離宮のなかでも、特に人気があります。
桂離宮の参観は宮内庁、事前申し込み制
昨年から、何度も申し込みやっと見学ができました。
真夏なので参観希望者も少なかったのでしょう。
一度に拝観できる人数に制限がある上に、意外にも人気があって、
予定の日時に拝観できるようするのは結構大変なのです。
アクセスはケチばば~の旅 青春18きっぷです。
夏休み最後の日のためか?さすが車中には子供の姿は見受けられませんでした。
同居人からは又行くの~ 白い目で見られ、こっそり早朝 家を出ました。
楽しかったことは、いうにおよばずです。
帰宅後ブログアップしたのですが、同居人から「ブログにしては長すぎる!」
ブ~
私は見学の記録としてブログに書いたのですが・・・・確かに長くなってしまいました。
感動をすべて書きたい。記録に残しておきたいと思ったのですが・・・
私なりの桂離宮の報告です。
桂離宮の入り口です。ひっそり目立たない場所にあります。
京都の中心街から離れた、桂川の西に面した桂離宮を訪れました。
総面積は、東京ドームのおよそ1.5倍の広さ
参観通用門を越えたら、待合室に入り証明書を見せて入園確認を行います。それからガイドの方が迎えに来るまで待合室でしばらく待機となります。
約22人の見学者 先頭にガイドの職員 最後尾には皇宮警察の人がつく。
待合室から出て、庭に向かって歩き出すと、通路の奥に背の低い松が植えられています。この松は「住吉の松」といって、外からやってきた訪問者から、庭の内部を隠す目隠しとして植えられたそうです。
ここで隠されることで、あとで見ることができる景色への期待が膨らみます。
御幸門(みゆきもん)です。
門は、かやぶきの屋根に、自然のままの皮つき丸太の柱で支えられています。
茶室を中心として、日本の伝統ある景色を楽しむ庭ですので、質素な造りの門です。。
厠が隣接した外腰掛です。
左側がトイレ
勿論今は使えませんよ。
外腰掛の休憩所の前には蘇鉄が植えられています。
当時としてはたいへんめずらしいし植物でした。
外腰前の燈籠と手水鉢です。
それぞれ、年月を感じさせますね。
外腰掛から、茶室の松琴亭までは桂離宮の全景を見ながら歩いていきます。
外腰掛を離れて、州浜あたりまで歩くとようやく桂離宮の全景が眼前に広がります。
澄み切った池に、緑が目に眩しいです。
ガイドの後ろを歩いて行きますが、足元が悪いので、写真など撮影していると注意を受けます。
ちょっと内緒で撮影。
全ての木々の手入れが行き届いていて、大変繊細な印象を受けました。
すべての建物は上がることはできません。眺めるだけになるのが残念でした。
ふすまが全て開放され、茶室を覗くことができます。
にじり口のもある本格的な茶室です。
この松琴亭で最も驚かされるのが、この床の間と襖。
大胆な青と白の市松模様なのです。すごく斬新です。
右側の地袋はありふれた水墨調の襖絵です。
こちらの茶室もかやぶきの屋根になっています。さきほどの松琴亭と比べると、いくぶんか質素な造りになっています。
小高い岡の上に立っているので、ゆったりと桂離宮を見渡すことができる場所です。
壁に長年の風雪に耐えてきた証であるしみが出来ていました。
大変おちついた佇まいです。この中に入って実際に腰を下ろすことができ、
格子窓から外の緑深い景色を眺めることができます。
賞花亭の字は名のある方が書いたとの説明、。 でも忘れました。
この建物は遺骨を納める所だったからです。今は収められているものはありません。
ここの他にも何ヶ所か橋があるけれど、そのひとつひとつが繊細なこと。。
ちなみにこのような飛び石で、庭園内の周遊路は構成されていて、相当な数が存在するとか・・・
丸い窓が特徴のある笑意軒に到着です。茶色の土壁が目に優しく、
この丸い窓は、全てわざと違う大きさで作られていて、格子に使われている枝も違った組み合わせで演出されています。
という係りの方の説明ですが、私には同じようにしか見えません。
これぞ日本美と係りの方の説明。
内部の天井の様子で、船底のような形をしています。天井なのに船の底だなんて、見上げていて?? そうかな~~。
月波桜でもお茶を楽しんでいたようです。、ここでも縁側での茶席が設けられていいます。
書院の脇の池の畔に建つ月波楼です。
いよいよ書院へと進んでいく。
上の写真が庭園に向かって最も突き出した古書院だが、その正面には竹で編まれた「月見台」がある
この「月見台」はその名の通り、夏の夜に月を眺めながら過ごす為にある、何とも風流な設えなのです。
桂離宮は「月の桂」と称される。それはこの月を見るための仕掛けと、庭園を背景に昇る月を眺めた時の素晴らしい風情に由来していると係りの方の説明。
中秋のときにこの庭で月をめでたいものです。
月見台から眺めた池は・・・・
この桂離宮、造営は江戸時代初期、後陽成天皇の弟、八条宮智仁親王が別荘として造営を始め、ほぼ今の離宮の状態になったと言われ、完成まで約40〜50年ほどかかっている。
以後、宮家の別荘となっていたが、明治時代に宮家が絶えた後は宮内庁の管轄となり、桂離宮と称された。
一度も火災にあったことがなく、ほぼ創建時のすがたを維持している。
一皇族の住まいに過ぎなかった桂離宮。その建築的な価値が決定的に知れ渡ったきっかけが、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが、「涙が自ずから眼に溢れるほど美しい」と評価したのが国内外に知れわたった。
庭園の木々や石の数々全てに至るまで、しっかりと手を入れることによる徹底した美しさは素晴らしい。
御輿寄を通って、園内の見学は終了しました。
見学時間は予定通り1時間。
純粋な日本を感じさせる落ち着いた佇まい
感嘆のため息がでてしまうくらい、すばらしい回遊式の庭園。
真夏の離宮の訪問は、暑さを忘れさせる18きっぷの旅でした。
by juju3291
| 2009-08-31 18:45
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